2012年08月19日
「ジャッカルの日」

Courtesy of Universal Pictures
2ドルで投げ売られていた「ジャッカルの日」のDVDを鑑賞。
もう40年も前の映画で、筆者は20年以上前にVHS録画で見たが、これは大人になって見たら本当の面白さが分かる。
音楽は冒頭と終わりだけ、無駄な台詞も無く、淡々と暗殺に向けて準備を進めていく緊張感。組み立て式狙撃銃のテストシーンはもはや伝説。はじけるスイカに少年達はときめいたものだった。
個人的にはマダム何とかのくだりも当時の少年には刺激的だったのを思い出したが、今見ると意外とあっさりしていた。
登場する俳優達がほとんど他界しているのは寂しいが、作品として残るのは映画のよさ。
映画を気に入ったらフォーサイスの原作もお勧めです。多分日本の古本屋で100円で買える。類似名の変なリメイクもどき映画は時間の無駄。
写真は倉庫整理で大量に発見されたアーミー階級章。新品も沢山ある。
そのうち追加します。

日本語担当者の休暇と出張で通販業務休業中です。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
アーミーサープラスショップ”メビウス1"はこちら
2012年08月12日
爆弾騒ぎ
ロサンゼルスの以前住んでいた所の近所で起きた爆弾騒ぎの様子。
たしか6-7年前の話。小学校で不審物が見つかり、近所の道を全て埋め尽くす50台以上のパトカーが終結、爆弾処理班も到着して5時間くらいは一体を封鎖していた。
写真の真ん中に立っているワイヤーが巻かれた電柱状のものはテレビ局の中継車から伸びたアンテナ。

警察車両の駐車場と化したストリート。ここだけでもこれだけあるが、他の場所も同様な状態になった。

すぐにいたずらと分かったのか緊張感ゼロ。とりあえず全員集まったが、やることが無いので暇になったようで、コーヒー片手に暢気におしゃべりしている警官も見えた。指揮車(あるいはコーヒースタンド?)の前はポリス専用のちょっとした社交場に。

この同じ交差点ではクリスマスイブの晩に、犯人の車から無差別に撃たれた別の車の運転手が亡くなるという事件もあった。この辺はそんなに危険地帯ではなかったが、夜は安全な場所は無い。用がなければ外に出ないのが一番。
店舗夏季休業中ですが、商品の紹介は再プリントのサバイバルマニュアル。

敵地に不時着した後の生存術。救助に着たヘリの安全な近寄り方や、ウサギの皮のむき方等のすぐに役立つ便利情報が満載。
エアクルーサバイバルマニュアル
たしか6-7年前の話。小学校で不審物が見つかり、近所の道を全て埋め尽くす50台以上のパトカーが終結、爆弾処理班も到着して5時間くらいは一体を封鎖していた。
写真の真ん中に立っているワイヤーが巻かれた電柱状のものはテレビ局の中継車から伸びたアンテナ。

警察車両の駐車場と化したストリート。ここだけでもこれだけあるが、他の場所も同様な状態になった。

すぐにいたずらと分かったのか緊張感ゼロ。とりあえず全員集まったが、やることが無いので暇になったようで、コーヒー片手に暢気におしゃべりしている警官も見えた。指揮車(あるいはコーヒースタンド?)の前はポリス専用のちょっとした社交場に。

この同じ交差点ではクリスマスイブの晩に、犯人の車から無差別に撃たれた別の車の運転手が亡くなるという事件もあった。この辺はそんなに危険地帯ではなかったが、夜は安全な場所は無い。用がなければ外に出ないのが一番。
店舗夏季休業中ですが、商品の紹介は再プリントのサバイバルマニュアル。

敵地に不時着した後の生存術。救助に着たヘリの安全な近寄り方や、ウサギの皮のむき方等のすぐに役立つ便利情報が満載。
エアクルーサバイバルマニュアル
2012年08月11日
少年兵 ベトナムから来た男
「店を休業させて放っておくと、恐怖のグーグル大王が降ってきて大惨事がもたらされる」
WEBに詳しい友人にきつく言われたので、たまにブログや商品欄を更新します。悪くするとリンボー行きになって戻れなくなるらしい。
そういうわけで、今日は「こんな人生でも自由に生きられるのはラッキー」という前向きなのか、そうでもないのかよくわからない内容の駄文です。ただし長い!開いただけで読む気がなくなりそうだ。止めようかとも思ったが、もう書いたものだから載せます。時間を返せとかはなしで。
筆者がアメリカに来たばかりの頃にタイ料理屋でウェイターのバイトをしていた時の話。そこにはJという30代のベトナム人のコックがいた。よく笑う陽気な男で、休憩時間になると仲間に手品を見せたり、冗談を言って笑わせたりしていた。時には、ベトナムの料理を見せるといって、自分で持ってきた麺と店の食材を使ってフォー(ライスヌードルスープ)を作ることもあった。化学調味料をどんどん入れるのが本場の露天のフォーだと言って笑っていた。
ちなみにアメリカのチェーン系ベトナムレストランで出てくるフォーには大体の店では大量の化学調味料が使われていて、独特の舌の根元にへばりつく旨み感と食後の喉カラカラ感が味わえる。薬の力なのか中毒性があって、たまに無性に食べたくなるときがある。チャイニーズのテイクアウトチェーンも同様の魔力を持っているが、どの店でも「化学調味料一切なし」のメッセージが店内に掲げられている。表示法の抜け道があるだけで、結局は同じ物をバンバン振りかけているのだ。筆者がバイトしていた店でも専用の化学調味料部屋に多種類がラベルを貼られて管理されていた。客がその有無を聞いてきたら、もちろん笑顔で『No!!』

脱線したが、Jはそのうちに相棒とベトナムレストランを出すと言っていて、よく自分のビジネスプランについて語っていた。時には日本でやったら儲かるのかと真剣に聞いてくることもあった。筆者はJと特別に親しかった分けではなかったが、暇なときに一緒になると話を色々する相手だった。
ある日、筆者とJ他数人が裏で休んでいると、誰かが雑誌の中程のガンの広告ページを見てあれこれと言いはじめた。ライフルやハンドガンが沢山載っているページだった。その時にJが極自然にAK型のライフルをさして、これは良い銃だと言った。すかさず誰かが何で分かるのかと聞くと、Jはそれを使っていたからと答え、当時の話をはじめた。
70年代終わりから80年代末まで続いたベトナムと隣国カンボジアの戦争(書くために調べた、覚えてません)。ベトナム戦争で親を無くした14歳のJは少年兵として部隊に参加。カンボジア領内(当時ベトナム占領下)のジャングルに入り、4年か5年を反ベトナム勢力との戦いで過ごしたという。AKはその時の経験からで、壊れなくて一番良い銃だったそうだ。戦闘そのものは毎日あるようなものではなく、主に移動や集落での補給で時間がすぎる。Jのように正規の兵隊ではないが参加している子供は他にも沢山いたという。顔ぶれは多少変わるが、行動は大体見知った者同士のグループであった。
その中にJを気に入って特に面倒を見てくれる大人の兵士がいて、いつもの手品はこの兵士が教えてくれたものだった。その兵士はある日別のグループと行動したまま戻らず、後に戦死したことを聞かされたという。アホというか素直なウェイターの一人がJに人を殺したのかとモロな質問をすると、皆で撃ちまくるから誰の弾が当ったのかは分からないと答えていた。
その時以降は特に同じ話題になることもなく、筆者も深くは聞かなかった。両親と親代わりの兵士を亡くし、沢山の血なまぐさい現場を見てきたら、きっと思い出したくないことばかりだろう。
しばらくしたある日に、若い白人の男が料理に虫が入っていたと騒ぎ、たまたまキッチンにいたJに、虫でそこまで上がるかと思うようなテンションで絡み始めた。男はJに向かってアジア人を侮蔑する言葉を吐いて、盛んにののしっていた。Jは数度謝った後はただ黙って聞いていたが、すぐにタイ人のウェイター達が集まって事態は収束する様相へ。筆者は多勢に無勢で大事になることはないのが分かるので、昼飯を食い続けて見物していた。
その時にふと筆者の頭に浮かんだこと。この男、多分学生、は自分の叫んでいる相手が14歳から戦場のジャングルで生きてきた人間だということを知らない。小さなレストランの厨房にいる冴えない風情の30男が、かつてジャングルの下生えで息を潜め、掠める銃弾を感じ、人を殺すために引き金を引いたことを知らない。仲間も敵も無残に死んでいっていったのを子供の目で見ていたのだ。俺や君がテレビゲームをしていたとのと同じ歳で、このどこぞのアジア野郎はとてつもない経験をしていたのだ。そんなことを考えたら、虫で騒いでいるという事が滑稽に思えてきた。
戦争の時代を生きた自分の爺さん婆さんに感じるのと同じような感覚。戦争という到底想像できない経験の持ち主に感じる畏怖のようなもの。日本で戦争体験というと、特定の記念日に思い返す記憶になりつつある。しかし日常生活で、自分に近い年齢からそれを感じるというのは、海外に住んでからが初めて。同年代で否応なく戦争に巻き込まれた人間が沢山いる。それを思うと、つまらないことで落ち込んだり、腹を立てたりするのが馬鹿らしくなる。思い通りにならないことが多い人生でも、なんと自分は恵まれていることか。
あの時の学生君は、遠くで見物していた別のアジアの糞野郎が、君の後ろ姿とJをたまに思い出してこんなことを考えているなんて夢にも思わないだろう。
ベトナムから来た男はある日いなくなった。相棒とレストランを始めたのかは、誰も知らない。
日本語担当者の休暇と出張で通販業務休業中です。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
1ヶ月以上の長期となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
日本人のチェックがないと間違いが起こる可能性が高いので、思い切って完全休業とします。
WEBに詳しい友人にきつく言われたので、たまにブログや商品欄を更新します。悪くするとリンボー行きになって戻れなくなるらしい。
そういうわけで、今日は「こんな人生でも自由に生きられるのはラッキー」という前向きなのか、そうでもないのかよくわからない内容の駄文です。ただし長い!開いただけで読む気がなくなりそうだ。止めようかとも思ったが、もう書いたものだから載せます。時間を返せとかはなしで。
筆者がアメリカに来たばかりの頃にタイ料理屋でウェイターのバイトをしていた時の話。そこにはJという30代のベトナム人のコックがいた。よく笑う陽気な男で、休憩時間になると仲間に手品を見せたり、冗談を言って笑わせたりしていた。時には、ベトナムの料理を見せるといって、自分で持ってきた麺と店の食材を使ってフォー(ライスヌードルスープ)を作ることもあった。化学調味料をどんどん入れるのが本場の露天のフォーだと言って笑っていた。
ちなみにアメリカのチェーン系ベトナムレストランで出てくるフォーには大体の店では大量の化学調味料が使われていて、独特の舌の根元にへばりつく旨み感と食後の喉カラカラ感が味わえる。薬の力なのか中毒性があって、たまに無性に食べたくなるときがある。チャイニーズのテイクアウトチェーンも同様の魔力を持っているが、どの店でも「化学調味料一切なし」のメッセージが店内に掲げられている。表示法の抜け道があるだけで、結局は同じ物をバンバン振りかけているのだ。筆者がバイトしていた店でも専用の化学調味料部屋に多種類がラベルを貼られて管理されていた。客がその有無を聞いてきたら、もちろん笑顔で『No!!』

脱線したが、Jはそのうちに相棒とベトナムレストランを出すと言っていて、よく自分のビジネスプランについて語っていた。時には日本でやったら儲かるのかと真剣に聞いてくることもあった。筆者はJと特別に親しかった分けではなかったが、暇なときに一緒になると話を色々する相手だった。
ある日、筆者とJ他数人が裏で休んでいると、誰かが雑誌の中程のガンの広告ページを見てあれこれと言いはじめた。ライフルやハンドガンが沢山載っているページだった。その時にJが極自然にAK型のライフルをさして、これは良い銃だと言った。すかさず誰かが何で分かるのかと聞くと、Jはそれを使っていたからと答え、当時の話をはじめた。
70年代終わりから80年代末まで続いたベトナムと隣国カンボジアの戦争(書くために調べた、覚えてません)。ベトナム戦争で親を無くした14歳のJは少年兵として部隊に参加。カンボジア領内(当時ベトナム占領下)のジャングルに入り、4年か5年を反ベトナム勢力との戦いで過ごしたという。AKはその時の経験からで、壊れなくて一番良い銃だったそうだ。戦闘そのものは毎日あるようなものではなく、主に移動や集落での補給で時間がすぎる。Jのように正規の兵隊ではないが参加している子供は他にも沢山いたという。顔ぶれは多少変わるが、行動は大体見知った者同士のグループであった。
その中にJを気に入って特に面倒を見てくれる大人の兵士がいて、いつもの手品はこの兵士が教えてくれたものだった。その兵士はある日別のグループと行動したまま戻らず、後に戦死したことを聞かされたという。アホというか素直なウェイターの一人がJに人を殺したのかとモロな質問をすると、皆で撃ちまくるから誰の弾が当ったのかは分からないと答えていた。
その時以降は特に同じ話題になることもなく、筆者も深くは聞かなかった。両親と親代わりの兵士を亡くし、沢山の血なまぐさい現場を見てきたら、きっと思い出したくないことばかりだろう。
しばらくしたある日に、若い白人の男が料理に虫が入っていたと騒ぎ、たまたまキッチンにいたJに、虫でそこまで上がるかと思うようなテンションで絡み始めた。男はJに向かってアジア人を侮蔑する言葉を吐いて、盛んにののしっていた。Jは数度謝った後はただ黙って聞いていたが、すぐにタイ人のウェイター達が集まって事態は収束する様相へ。筆者は多勢に無勢で大事になることはないのが分かるので、昼飯を食い続けて見物していた。
その時にふと筆者の頭に浮かんだこと。この男、多分学生、は自分の叫んでいる相手が14歳から戦場のジャングルで生きてきた人間だということを知らない。小さなレストランの厨房にいる冴えない風情の30男が、かつてジャングルの下生えで息を潜め、掠める銃弾を感じ、人を殺すために引き金を引いたことを知らない。仲間も敵も無残に死んでいっていったのを子供の目で見ていたのだ。俺や君がテレビゲームをしていたとのと同じ歳で、このどこぞのアジア野郎はとてつもない経験をしていたのだ。そんなことを考えたら、虫で騒いでいるという事が滑稽に思えてきた。
戦争の時代を生きた自分の爺さん婆さんに感じるのと同じような感覚。戦争という到底想像できない経験の持ち主に感じる畏怖のようなもの。日本で戦争体験というと、特定の記念日に思い返す記憶になりつつある。しかし日常生活で、自分に近い年齢からそれを感じるというのは、海外に住んでからが初めて。同年代で否応なく戦争に巻き込まれた人間が沢山いる。それを思うと、つまらないことで落ち込んだり、腹を立てたりするのが馬鹿らしくなる。思い通りにならないことが多い人生でも、なんと自分は恵まれていることか。
あの時の学生君は、遠くで見物していた別のアジアの糞野郎が、君の後ろ姿とJをたまに思い出してこんなことを考えているなんて夢にも思わないだろう。
ベトナムから来た男はある日いなくなった。相棒とレストランを始めたのかは、誰も知らない。
日本語担当者の休暇と出張で通販業務休業中です。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
1ヶ月以上の長期となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
日本人のチェックがないと間違いが起こる可能性が高いので、思い切って完全休業とします。
2012年08月06日
米軍払い下げ品業者の仕入れの秘密公開!あるいはその悲哀
大げさなタイトルですが、そんな大した秘密ではありません。多分誰でも知っているレベル。
米軍払い下げ品はまとまったロットごとに競争入札で払い下げられます。
写真はイーグルのグレネードポーチのロットラベル。
この管理番号で政府に納品されたのは2978個で1個あたり18.43ドルだったことが分かる。
数年後に用済みとなって回収された物を分類して、納品番号に照らしてこのラベルがプリントされるらしい。

そうして回収されたり、何らかの理由で支給されなかった物を数百個に小分けした物が払い下げロットになる。
よほど儲かるんじゃないかと思う人がいるようですが、この業界で巨万の富を築いた人間はいないことから、そんなに上手い話では無いことが分かる。パッと見は未支給新品で落札してみたら下の方は全部中古だったとか、新品だが空けてみたらほとんど不良品なんてこともある。丁寧に書類にリジェクト品なんて書いてくれることは滅多にありません。何箱もあって、見本に開いてる1箱は表示と同じだが、残りは中身が全然違うという悲劇も…。AS IS なのでクレームの類は一切受け付けてくれません。ちなみに当社では輸送中に500キロ近いパレットが半分以上吹き飛んで無残に到着したこともある。千ドル以上分消えて運送会社が送ってきたのは最低補償の150ドルとかだった。それ以来重要物には全額保険をエクストラで付けています。アメリカンジョブの適当さは怒りを越えて感動するほどのこともあるが、そっちの逸話は山ほどあるのでまた別の機会に。海外に住んでいると日本人の平均レベルが世界的にどれほど優秀なのかを日々実感できます。
上記のイーグルグレネードポーチは当社サイトで7-9ドル程度の価格なので、落札価格やフォークリフトで運搬するパレット送料や何かを入れると大して儲からないことが分かる。遠隔地では人を雇って回収させたりする金も必要です。ちなみに政府は落札価格とは別に手数料も結構持っていく。3倍の27ドルで売れたら引退までにビルが建つかもしれないが、元が18ドルの物にそれは無理な話。
仕入れの別の方法としては同業の人間とつながり、いらない物や欲しい物を融通しあうことがある。正直ポーチ500個売り切るには10年かかるかもしれないので、半分誰かに売るのが得策。回収に行った現場で物々交換したり、そのうちつながりが増えると、複数の業者と在庫リストを交換もできる。古くからの業者だと今では出てこない物が眠っていたりもするので結構良い。値段が高くなりすぎて断念した物を近場の知り合いが落札していて、適度な分量を意外に安く調達できることもある。
そしてこうした業者は、毎月全米のどこかであるアーミーショーに出展して、少々値段を上げて個人に売っていたりもする。うちはそんな人員は無いのでそこまでしませんが。
最後に日本のアンティークや古着業者の方々が来るフリーマーケット仕入れもありますが、装備物に関しては労力の割りに報われないので行きません。衣類は安い場合もありますが、小口仕入れは倉庫直接訪問か電話で済む業者の方が気楽で良い。この担当者が有名な月1回のローズボールの蚤の市に行ったのは多分8年ぐらい前が最後です。日本人が沢山いましたが、今はどうなんでしょう。日本人バイヤーの数は大昔のビンテージ古着ブームが最高潮で、その後激減し、近年はそれなりに増えているらしいが…。
とりとめもないので、今回はこのへんで。
休業前の入荷はほぼ終了!!後は出荷して閉めるだけです。
夏季休業日程
日本語担当者の休暇と出張で以下の日程で通販業務休業となります。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
8月9日までに受け付けた注文は休業前に発送します。
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
1ヶ月以上の長期となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
米軍払い下げ品はまとまったロットごとに競争入札で払い下げられます。
写真はイーグルのグレネードポーチのロットラベル。
この管理番号で政府に納品されたのは2978個で1個あたり18.43ドルだったことが分かる。
数年後に用済みとなって回収された物を分類して、納品番号に照らしてこのラベルがプリントされるらしい。

そうして回収されたり、何らかの理由で支給されなかった物を数百個に小分けした物が払い下げロットになる。
よほど儲かるんじゃないかと思う人がいるようですが、この業界で巨万の富を築いた人間はいないことから、そんなに上手い話では無いことが分かる。パッと見は未支給新品で落札してみたら下の方は全部中古だったとか、新品だが空けてみたらほとんど不良品なんてこともある。丁寧に書類にリジェクト品なんて書いてくれることは滅多にありません。何箱もあって、見本に開いてる1箱は表示と同じだが、残りは中身が全然違うという悲劇も…。AS IS なのでクレームの類は一切受け付けてくれません。ちなみに当社では輸送中に500キロ近いパレットが半分以上吹き飛んで無残に到着したこともある。千ドル以上分消えて運送会社が送ってきたのは最低補償の150ドルとかだった。それ以来重要物には全額保険をエクストラで付けています。アメリカンジョブの適当さは怒りを越えて感動するほどのこともあるが、そっちの逸話は山ほどあるのでまた別の機会に。海外に住んでいると日本人の平均レベルが世界的にどれほど優秀なのかを日々実感できます。
上記のイーグルグレネードポーチは当社サイトで7-9ドル程度の価格なので、落札価格やフォークリフトで運搬するパレット送料や何かを入れると大して儲からないことが分かる。遠隔地では人を雇って回収させたりする金も必要です。ちなみに政府は落札価格とは別に手数料も結構持っていく。3倍の27ドルで売れたら引退までにビルが建つかもしれないが、元が18ドルの物にそれは無理な話。
仕入れの別の方法としては同業の人間とつながり、いらない物や欲しい物を融通しあうことがある。正直ポーチ500個売り切るには10年かかるかもしれないので、半分誰かに売るのが得策。回収に行った現場で物々交換したり、そのうちつながりが増えると、複数の業者と在庫リストを交換もできる。古くからの業者だと今では出てこない物が眠っていたりもするので結構良い。値段が高くなりすぎて断念した物を近場の知り合いが落札していて、適度な分量を意外に安く調達できることもある。
そしてこうした業者は、毎月全米のどこかであるアーミーショーに出展して、少々値段を上げて個人に売っていたりもする。うちはそんな人員は無いのでそこまでしませんが。
最後に日本のアンティークや古着業者の方々が来るフリーマーケット仕入れもありますが、装備物に関しては労力の割りに報われないので行きません。衣類は安い場合もありますが、小口仕入れは倉庫直接訪問か電話で済む業者の方が気楽で良い。この担当者が有名な月1回のローズボールの蚤の市に行ったのは多分8年ぐらい前が最後です。日本人が沢山いましたが、今はどうなんでしょう。日本人バイヤーの数は大昔のビンテージ古着ブームが最高潮で、その後激減し、近年はそれなりに増えているらしいが…。
とりとめもないので、今回はこのへんで。
休業前の入荷はほぼ終了!!後は出荷して閉めるだけです。
夏季休業日程
日本語担当者の休暇と出張で以下の日程で通販業務休業となります。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
8月9日までに受け付けた注文は休業前に発送します。
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
1ヶ月以上の長期となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
2012年08月03日
メスキットパン1945年
WW2のステンレスメスキット。

年代の割には綺麗。内側にはナイフやフォークでついた傷が複数ある。

持ち手は錆。
U.S. E.A. CO. 1945

コレクション向け。
詳細はオンラインストアの一覧から。
WW2ステンレスメスキット。
バットマン新作をやっと鑑賞。IMAXの大画面大音響の予告入れて3時間というのは長すぎる。途中から頭が痛くなり苦闘。ラストのカタルシスを2時間以内で実現して欲しかった。目の前の高齢のカップルの男性は早々に眠りに落ちていた。終わった後に起こされて「面白かった?」と聞いていたのが映画より面白かった。猫女は良いね。
日本語担当者の休暇と出張で以下の日程で通販業務休業となります。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
8月9日までに受け付けた注文は休業前に発送します。
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
1ヶ月以上の長期となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
日本人のチェックがないと間違いが起こる可能性が高いので、思い切って完全休業とします。

年代の割には綺麗。内側にはナイフやフォークでついた傷が複数ある。

持ち手は錆。
U.S. E.A. CO. 1945

コレクション向け。
詳細はオンラインストアの一覧から。
WW2ステンレスメスキット。
バットマン新作をやっと鑑賞。IMAXの大画面大音響の予告入れて3時間というのは長すぎる。途中から頭が痛くなり苦闘。ラストのカタルシスを2時間以内で実現して欲しかった。目の前の高齢のカップルの男性は早々に眠りに落ちていた。終わった後に起こされて「面白かった?」と聞いていたのが映画より面白かった。猫女は良いね。
日本語担当者の休暇と出張で以下の日程で通販業務休業となります。
通販サイト休業(注文受付停止)
8月10日~9月20日
8月9日までに受け付けた注文は休業前に発送します。
9月21日から受け付けた注文は9月25日から順次出荷します。
(注)上記日程は日本時間に基づく。米国時間ではありません。
1ヶ月以上の長期となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
日本人のチェックがないと間違いが起こる可能性が高いので、思い切って完全休業とします。